お別れ、に伴うトンデモなお話! | ふじなまさきなまの「俺は強い」

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偉そうに「俺は強い」と威張っているように見えるかもしれませんが、弱いから、強くなりたいからこう言ってるのです。「そうなりたい」と願う「アファメーション」です。

本日、長年連れ添った トヨタ レジアス ウインドツアラーくん と、お別れいたしました。


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思えば、12年間 12万km の おつきあいでした。


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始めて出会ったのは、トヨタヴィスタ東京(現ネッツトヨタ東京)高島平店のショールームでした。


それまで乗っていた 三菱デリカ が、ディーゼルだったので、買い換えることにして、

いろんな車種を検討しているときに、ふと出会って決めた。 ま、一目惚れですわ。


出会ってからほぼ1ヶ月間、毎日のように連絡をくれた営業マンの熱意に押されたのもあって決定。

お気に入りでした。

初めて給油に行ったスタンドでは 「良い車ですねぇ!」と言われ、社交辞令かもしれないのにえらく気を良くしたのを覚えている。


あれから今日まで、いろんな思い出が詰まっている。


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何人のTFバレー部員がこの車に乗っただろう?

何人の汗臭さがしみこんでいるのだろう?


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合宿には毎年行って、ボールやらコーンやらを運び、

屋根に自転車を積んで帰ってきたこともあった。


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車内をフルフラットにして、昼寝をしたり、

輪島まで行った時にも、ホテルを使わず宿泊代を浮かせるために車中で1泊した。


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雪にも耐え、


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バカ犬にも汚され、


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台風被害も間一髪で逃れた。


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昨年末あたりから、そろそろ買い換えたくなり、

娘が大学を卒業し、息子の大学入学が決まるであろうこの春に買い換えようと思っていた。

娘の卒業も、息子の進学も無事に決まり、買い換えることにした。


正確には、息子が決まる前に、買い換えは決めてしまっていたのだが、

そこはそれ、アファメーションで、進学しか見えていなかったので、買い換えを先に決めてしまったわけですよ。あせる (内心、無事に第一志望校に決まってほっとしたのですが。^^;)


新車をどうするかも含めて、以前TFの事務職員をしていたTくんを頼って、ガリバー に相談した。

新車はなかなか希望するモノとは出会えなかったのだが、査定して買い取ってもらうことにした。


悲劇というか、この物語はこのときから幕を開ける。

ま、正確には、12年前に始まっていたと言うべきなのかもしれないが。。。


査定の日、ガリバーから1人の若者がやってきた。

元整備士だったという若者は、高校時代硬式野球部だったと言い、「だから体育科教官室って、居心地悪いんっすよね。^^;」 と言った。

学校に来てもらったのが申し訳なかったかな。(でも、昼休みに女子バレー部を始め、女子しか来なかったので喜んでいたフシも無くは無い^^v)


で、査定。。。


「わかりました。えっと、バックドア交換されてますね。右後ろぶつけました?」

「へ?交換なんてしてないよ。ぶつけてもいないし!」

「いや、バックドアは間違いなく交換されてますよ。」


ここに来て、査定を高くしてもらおうなんて気はサラサラない。

知り合いに頼めたので、廃車とかの手続きなど面倒くさいことを頼めそうだからお願いしたまでのこと。

只でも持ってってもらえさえすればありがたいのだ。だから、嘘をつく意味も全く無い。


「いや、絶対ぶつけもしてないし、交換なんてしてないから!」

「じゃあ、買う前ですかね?整備士が見れば一目でわかるんですけど、いくつかポイントがあります。」


そう言って彼は車の前で説明をしてくれた。


「まず、すぐわかるのがこのネジです。ぱっと見て、あとからネジの頭がペイントされていますよね。

通常ネジを外すと塗装が剥げるので、外してはめ直したあとにはその部分を塗り直すんです。」


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確かにそう見える。。。


「それから、ドアで言うと、このパッキンみたいなの、これが こう、爪で押し込むとプチプチとわれるように押せるんです。これもあとから塗ったモノで、工場出荷の新車ではこういうことは無いんですよ。」


ふむふむ。 プチプチ。。。


「それと、これは素人さんではわからないと思うのですが、下に潜ってみると車体の骨組みにさびが浮いているところがあって、それはぶつかった後遺症みたいなモノで残るんですよ。」


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「それに、この右後ろのサイド面、よく見ないとわからないんですけど、板金も入ってますね。こう後ろの方から見ると、一部分へこんでるというか、ちょっとうねってるでしょ。」


そう言われてみれば、そんな気も。。 でも自分にはよくわからない。


しかし!

いろんな話を聞いている内に、大事なことを思い出した!


「そう言えば、この車、新車で買ったときから、このバックドアだけ鍵が使えなかったんですよ!」


これで つじつまが合ってしまった!


買ってすぐ、この車の鍵が2本とも、バックドアの鍵だけ開けられも閉められもしなかったのだ!

もちろんそれ以降12年間ずっと。


確か、初めてディーラーに点検に出したときに、そのことは伝えた。

点検するとは言ってくれたモノの、点検後には 「調べたけどわかりませんでした。」と言われ、


「まぁ、運転席を開ければ開くし、閉めれば閉まるのだから別にいいや。」

で、済ませていた。 

今思えば、それがいけなかったのだ。。。


つじつまが合い、納得したので、怒りが込み上げてきた。

その日の帰り、急いで購入した高島平店に行った。

事情を話し、チェックしてもらったところ、


副店長も ドアが交換されていることは認めた。


そして、12年前のことではあるが、調べてみると言ってくれた。


数日後、俺のいないときに、その店の店長が我が家を訪れ、

「調べてみたが、わからない。」と言って帰って行ったと、学校にいる自分に家から連絡があった。


アポ無し、午後5時前。

俺を無職だとでも思ってるのか、店長!!


その数日前、トヨタに勤めて数年になる卒業生が他の部の練習に来ていたので、この話をしたら、唖然として、「それはトヨタのお客様相談室に連絡した方がいいですよ。」と言ってくれた。

そのことを思い出して、トヨタのHPからメールを打つことにした。

文字制限が500字までだったので、4通に分けて事の次第を全て書いて送った。


翌日、待てども返事は無いので、こちらから電話をしてみた。

メールは届いていた。

そして「後ほど、担当の者からお電話いたします。」 と。

ことの重大さに気付いてくれたのだろうか。電話口で対応する女性ではなく、もう少し偉いらしい男の人から電話が来ることになった。


やりとりをした

結局、状況は理解してくれた。しかしやはり調べてみないとわからないので、時間をくれ、と。

で、その電話が火曜日の夕方だったのだが、

「では、こちらから連絡をして、高島平店から金曜日には連絡を入れさせます。」と。


金曜日。

授業の他、他の用事を片付けたあと、週末のヴェルディの試合のために、荷物を運んで稲城市の体育館まで出かけた。


稲城市の体育館に着いた頃にはすでに夕方になっていたのだが、

一向に連絡が入る様子もない。

さすがの ふじなまさきなま も頭にきつつ、電話をした。

すると、


「すみません。トヨタ(名古屋のお客様相談室)からネッツトヨタ高島平店へ送ったFax の最後の一枚が届いておらず、金曜日に返事を入れるという指示が伝わっておりませんでした。」


だと!


これでも切れなくなった俺! 


昔を知ってる方々なら、「どうしちゃったの?」 って言うでしょ。^^;


お前、本当にお客様相談室の偉いさんか?!

新採でも もう少しまともな言い訳するだろ!


切れなくなった俺が偉いのでは無く、

切れようが無かったと言うべきだろう。


あきれて。。。


天下の、世界のトヨタも ここまで落ちたのか。。。


トヨタ車とは長いつきあいだった。

子どもの頃、一番最初に覚えた車の名前は 「パブリカ」。

記憶にある最初のふじなま家の自家用車。

その次が 「カローラ」

その後、姉が就職して買った車が 「セリカST」 。

程なく、姉の結婚と同時に、残ってしまったセリカは、大学2年になっていた俺が最初に手にする車となった。


セリカはその後、バレー部同級生のS木に安く売り(たぶん)、

海外転勤となった姉家のものだった 「カリーナ」 が、自分にとって2台目の車となった。

「カリーナ」 も、筑波を離れる時に後輩のN原に安く売り(たぶん)、

その後東京に戻って、結婚した俺は、小さな車を求めて、ホンダシティーに乗り換える。

この後しばらく、トヨタ車から離れ、デリカを2台乗り継いで、今回のレジアスで、久しぶりにトヨタ車に戻った。


この車自体は、乗りやすく、大きい割には使いやすかった。

デリカは4駆だったが、そうそうスキーにも行けなくなったので4駆はやめていたが、

車重もあるため、都内なら雪の日も安心して乗れる車だった。

故障もせず、自分で何回かフロントバンパーに傷を付けてしまった以外、大きな事故も無く、

ただ、数年前に、寝ぼけたタクシーが前から意味も無くバックしてきてフロントバンパーとナンバープレートをつぶされて交換したくらい。


調子も良く、乗り心地もよい、お気に入りの車だった。

荷物も人も(定員はあるが)たくさん積める。

寝泊まりも昼寝も出来る。

運転席も高いので、ロングドライブも疲れない。

申し分の無い車だったと言っていいだろう。


ところが、

そんな車と別れることになった最後の最後でとんでもないことがわかってしまった。。。


年明け、たぶん手放すことになるだろうと言う思いから、丸々1日をかけて磨いた。

ドリルの先に付けるアタッチメントを買ってきて、水垢取りでぴかぴかに磨き、同時にワックスがけをした。

新車の頃を思い出した。

旅立たせる準備をしてあげたという気分だ。


そして今日。

いよいよお別れとなる前に、積み込んであったがらくたやタオルケットを降ろし、

車内を徹底的に掃除した。



ふじなまさきなまの「俺は強い」

掃除しながら悲しくなってきた。

こいつの声が聞こえた気がした。


・・・・・・・・


旦那さん、すまねぇことをしたね。じつは俺は、「前」があったんでさぁ。

心の中ではいつかはバレる、いつかは言わなきゃなんねぇ、って、ずっと思ってたんでさぁ。

ところが俺は言い出せなかった。これは、初めてお会いしたときからでさぁ。


そしたら、旦那は気付いて下さった。そりゃそうでさぁ、交換されていたバックドアを背負ってりゃ、そこは旦那の持っている鍵じゃぁ開くわけがねぇ。

その時は、隠していた「前」がばれるって言う怖さと、安堵感とが一緒でしたよ。


しかし、あの野郎、整備したふりして、調べたふりして、あっしのバックドアが交換されているってことを、旦那には伝えやしなかった! とんでもねぇ野郎だ!


せっかくわかってもらえるチャンスだったのに、そんなチャンスが、旦那の所にお世話になって1ヶ月あまりで来たというのに。。。

申し訳ありやせんが、それからはもう無理でした。

こりゃ死んでも言えねぇ、口が裂けても言えねぇ。そう黙りを決めることしか出来なかったんですよ。


だから、その償いにって言うんですかね、それからはもうがむしゃらに働かせてもらいやしたよ。

怪我や病気なんてしちゃいけねぇ、旦那が行きたいと思うとこならどんな所だって行かなきゃなんねぇって。

誰が乗り込んでこようが、何を積まれようと、暑い日は涼しい状態を作り、寒い日は暖かい状態を作ってとことんご奉公させてもらったつもりです。


12年間、12万km。

我ながら良くやったとは、思ってたんですがね。

最後には褒めて見送ってもらえると確信していたんですがね。

「前」のことなんて、自分でも忘れて。


ところが、悪いことはしちゃなんねぇ、悪事は結局ばれるように出来ているんでさぁ。


あの若い査定士さんの目はごまかすことは出来なかった。

最後の最後に来て、見破られたってわけでさぁ。


本当に、申し訳ないことをしやした。

許してくれとは言えませんが、最後くらい見送ってやてくだせぇまし。


・・・・・・・・・・


掃除をしながら、涙が溢れた。


思えば、これまでの車はほとんど友人や後輩に渡していた。

セリカは友人へ、カリーナは後輩へ、シティは教え子へ。

レジアスの前のデリカは2台ともディーラーに引き取ってもらっていた。

12年も乗ったのは、初めてだ。

この春大学を卒業する娘も、この春から大学に行く息子も、

ほぼこの車の記憶しかないだろう。



トヨタの対応には、あきれたが、

当然怒りは治まらない。


消費者相談センターに連絡をしたら、やはり「前代未聞」とのこと。

一応、全国の消費者センターに事例として報告するとのこと。

さらに、そこで教えてもらった 自動車公正取引協議会  というところにも電話をしてみた。


しかし、残念ながら何も変わらない。


トヨタが言うように、12年前のこと、購入前にドア交換がされていたという証拠はどこにも無い。


俺にこいつを売ってくれた営業のお兄さんは、俺に売った後、1ヶ月もしないうちに、ディーラーを退社していた。

契約直前には、円形脱毛症がひどくなり、丸坊主になっていた。


ひょっとしたら、あの人当たりの良い営業マンは、このことを知っていたのかもしれない。


そんな風に勘ぐってしまう。


そのストレスが円形脱毛症を発症させ、その後ろめたさに耐えきれずに退社したのかもしれない。

当時の店長もすでに退社していて、当時のことを知る人間に行き着くことは無い。

修理記録は無い。部品としてバックドアが発注された記録も無い。


自動車公正取引協議会の方も 


「実害は何か?と言う話になれば、現状では査定で値段が下がるくらいで何も無い。もう少し前にこのことがわかっていたら、それなりの対処方法もあったかもしれませんが」 と。


査定も、知り合いだから値段を付けてもらえたような古い車となっている今では問題にもならない。


「あとはお客さんのお気持ちということなんですけど、話を聞く限りではお店の対応は良くないですね。

もう少し何らかの形でお客様にお詫びの気持ちを伝えるなりなんなりの方法はあったと思います。」


「とりあえず、各社の責任者が集まる会議で、レアなケースとして議題に上げさせてもらいます。」


そう言ってくれた。

それで少しは気が治まったような気もする。


しかし。。。。。

12年前に、どこの段階だかはわからないが、 騙され、そのことを12年間知らされずにいたこと。


それが悔しくてたまらない。

そんなことをした トヨタ が情けなくて仕方が無い。。。



こんなことを書けば、トヨタは反論するかもしれない。


「証拠は無いのですから。」


そんなことはわかっとるわい!



ふじなまさきなまの「俺は強い」

昼前に、最後の姿を見送った。


ふじなまさきなまの「俺は強い」


・・・・・・・


レジアス君、もう「前」があったことなんて忘れて良いんだよ。

なんだったら俺のせいだって言っても構わないよ。

あんたは悪くない。本当に12年間良くやってくれた。ありがとう。


ふじなまさきなまの「俺は強い」

俺の元でぼろぼろになったかもしれないが、あんたならまだまだ走れるさ。


そうだな、せっかくだから、もうこの日本からは出してもらえば良いんじゃないか。

今の日本じゃ、ジジイ扱いされ、まともに扱ってもらえないだろうから。


でも、それだけ元気なんだからさ、少しの傷とか、汚れなんて気にせず、

大事にしてくれる人と出会って、のんびりと余生を楽しんでくれよ。


どこにいけるのかなぁ。暖かいところが良いだろうな。

でも、海辺はやめとけ。もうさすがに海風は体に良くない。

太陽光線には負けないだろうから、海からは離れた穏やかな街で、

これまでのように、たくさんの人たちやたくさんの荷物を積んで走り回ってやれ!

きっとそんな姿が君には似合ってる。


そうだな、俺はあんまり飾り付けとか、化粧とかはしてやらなかったから、

こっからさきは少し派手なカッコをさせてもらうのも良いんじゃないか!



たぶんもう、二度と会うことは無いだろう。

俺も次の奴と今週末には一緒に走れそうだよ。

あぁ、そうそう、こないだ一緒に見に行ったじゃないか。

あいつ。

あんたよりちょっと小さい奴。ま、まだ若いから少し派手な気もするが、

あんたの後釜があいつなら、それほど嫌な気もしないだろ。


・・・・・・・・・・


物作りで世界と戦ってきた日本。

中国に押され、韓国に抜かれ、世界に名だたる日本はどこへ行ったのか?


今回わかったのは、結局は人間なのだ。

良い物をいくら作ったとしても、それを売る人間に心が無ければダメ。


金儲けのために、一番大切な心を失い、同時に信頼を失う。


考えてみれば、12年前から、すでにトヨタの凋落ぶりは始まっていたのだ。


エコカーブームとプリウス人気で盛り返したようにも見えるが、

もし今回のようなことが再び起きるような土壌が無くなっていないとしたら、

トヨタの未来はない。


このことはトヨタに限らず、日本社会全体が再考しなければならないことなのかもしれない。



さようなら、トヨタ。


ふじなまさきなまの「俺は強い」

そして、これからは、ますます、


トヨタ自動車に負けるわけにはいかねぇ!